07 全日本戦 ベスト8(戦況・詳細)
07 All Japan Championships
BEST 8! Detail(Full report)

 1970(昭和45)年の秋、筆者が3回生で迎えた「全日本戦」であった。

【第2回戦・詳細】 2nd Round Detail

 第2回戦で神戸大学と当った。三商大戦で馴染みの相手だったが、当
時、手強い存在だった。
 試合前の平静な心から、一転して試合に入る「先鋒」は、気持ちの切
り替えが難しく、筆者が最も苦手な役目だったが、審判の「始め!」の
声は、響き渡った。
 この試合に限って、いつもの一気呵成、怒涛の「先制攻撃スタイル」
を、何故か変えてしまった。
 今回は、「相手の突きを誘って、払い除けてやる」と、飛び込んだ!
 長身の神戸大学3回生 川辺(?)選手の 右逆突き(右ストレート) は、
強烈であった!左順突き(左ジャブ)を予想していた為、払い損ね、左眼
を激打された!
 幸い眼球は直撃されなかったが、目の周りの骨が陥没したか?と思っ
た。慌てて目を凝らすと、川辺選手が何と、2人、3人に見え、まるで
「忍法分身の術」!
 これでは戦えないと思ったが、すかさず突き返していた筆者の上段突
きも、川辺選手の顎(あご)を軽く捉えており、更なる筆者の反撃を警戒
したのか、川辺選手が余り攻撃して来ないので助かった!
 接近しては道着をつかみ、相手の突きを封じて、何とか引き分けに持
ち込めた。

 後に下がって、左目を押さえながら、試合を見守った。
 負け数が、1多いまま「大将戦」となった。
 観客席から野村証券の彼女達が応援する中、4回生 小谷 晴康先輩が
見事な一勝を納め、勝ち数同数の「代表者決定戦」に持ち込んだ。
 神戸大学からは「中堅」で出ていた方と、小谷先輩の4回生同士の息
詰まる決定戦となった。これが互いに譲らず、引き分けに終わり、再度
の「代表者決定戦」へと縺(もつ)れ込んだ。

 当然、小谷先輩の三連戦と思っていたが、4回生 宮井 利浩監督は、
何と、3回生の筆者を指名した!
 「えっ、目が見えません!」と思わず、口走ってしまった。
 宮井監督も、近くの副審も驚いたが、何故か、筆者は夢遊病者の如く
試合会場中央に進み出ていた。

 「思い出した!目にも止まらぬ左順突きの持ち主は、神戸大学の、こ
の4回生の方だった」と!
 再度「左順突き」を予想して、顔面ノーガードで、思いッ切り飛び込
んだ!
 咄嗟に、飛んできた「突き」を払い除けると、ドンピシャだった!
 相手の「左順突き」は綺麗な「円弧」を描いて、まるで、スローモー
ションの如く、真横に流れた。
 (筆者の全38戦中、相手の動きが、スローモーションに見えたのは、
この一戦のみ!)
 ガラ空きになった相手の顔面に、「右上段突き」、「技有り」!
 動揺する相手に、時間を与えてはならず、一気に飛び込んで、左右の
「上段突き」から、得意の 「右中段 ・直蹴り」を放った。
 これが、左目が見えず目測を誤まったのか、いつもの強烈さに欠けた
が、相手は我を忘れたかの如く棒立ちで、審判は、「技有り」を宣し、
合わせて「1本勝ち」!
 僅か、数十秒で「再決定戦」を制し、気分は爽快の筈だが、左目の痛
みで歓喜できず、うなだれて退場。
 退場する際、神戸大学3回生「川辺」選手が近寄って来て、「何だ!
今の試合は?」と疑義を呈するも、筆者は左目の痛みの不安から、何の
返答もできず、そのまま退場。

【第3回戦・詳細】 3rd Round Detail

 第3回戦は、東海大学戦。
 小谷先輩が先鋒に上がり圧勝すると勢いが付き、2回生 前田 隆司、
3回生 柴田 裕三ら、皆が、快勝。対戦成績は、4勝0敗と、既に勝敗
は、決していた。
 左目の視力がやや回復し、大将に回った筆者は、得意の中段直蹴りを
連発し、相手の大将を圧倒した。
 しかし、相手の苦し紛れの軟弱な中段突きを、筆者が無視してしまい
これに、審判が「技有り」を宣して、筆者のみが一敗。

【第4回戦・詳細】 4th Round Detail

 第4回戦では、身が引き締まった。相手は、大阪経済大学
 2週間前の「全関西戦」で、床に血でも落ちていたのか、先鋒の筆者
が足を滑らせ転倒し、負けたせいか、皆が完敗してしまった相手だ。
 しかも、相手は勝ち進み、全関西準優勝校になっていた。
 その相手と、たった2週間後の今、ここで再戦するとは、血が煮えた
ぎるではないか!
 しかし、先鋒戦は、4回生 小谷先輩をしても、引き分け。
 次鋒戦は、2回生 山元 正志。小柄ながらも、善戦素晴らしかったが、
惜敗。
 中堅戦で、「ワシが、何とかしてやる!」と意気がったが、前の東海
大戦で足の神経でも切れたのか、蹴りが、まるでスローモーションに!
 観客席からは、昭和45年卒 服部 修先輩の罵声が飛んで来るが、得意
の蹴りを失い、筆者も、引き分けに終わってしまった。
 だが、副将戦は、天才的な2回生 前田 隆司が、快勝!
 そして、大将戦は、3回生 柴田 裕三。経済大学の大将は、巨漢なが
ら、その上段突きは目にも止まらず、アッと言う間に、3、4発が、柴
田の顎(あご)を捉えた。
 柴田は、少しも怯(ひる)まなかったが、審判が迷いながらも反則を宣
し、辛くも「反則勝ち」を拾う結果になった。
 2勝1敗だ。柴田の背中を叩き、「ヤッター!、勝ったぞ!」
 柴田は、「速い奴やったなー。」と、苦笑い。

 「只今より、勝ち残りました各校を紹介いたします。日本体育大学、
八幡大学、拓殖大学、・・・・・、そして、我校。」
 大阪府立体育館の館内放送に、我に返った。関西では、ただ一校の、
輝く「全日本ベスト8!」であった。

【第5回戦・詳細】 5th Round Detail

 第5回戦は、拓殖大学戦。
 この時初めて、星野 誠次師範から、指示が届く。
 「先に攻撃せず、低く構えて、相手の攻撃に合わせ、中段突きで反撃
せよ」と。
 筆者の戦い方とは違うが、得意の蹴りを失った今、指示通りに、腰を
落として、丸坊主の出方を伺う。
 丸坊主は、高圧的に、筆者の周りを右往左往し、時折、嵩(かさ)に掛
って、襲いかかって来た!
 筆者は、顔面の防御を捨て、指示通り「中段逆突き」の反撃に徹す!
大いに緊張するも、試合の2分間は、僅か3回程の相打ちで、アッと言
う間に過ぎ去った。

 今にして思えば、残念であった。残り、30秒、いや、10秒の時に、
一気に攻撃に転ずるべきではなかったか?
 全員の礼で始まり、静寂の中から一転して叩き合う「先鋒」の役割に
は苦手意識があった。しかし、あそこで「先鋒」として、筆者が一勝し
ていたならば、「ベスト4」どころか、「日本一」も夢ではなかったと
今でも思い続けて、嫁に話せば、「耳に、タコッー!」。

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