平成26年12月10日(水)、真珠湾にて。日本海軍の人間魚雷「回天」と 空母「赤城」の模型だ。 昭和16年12月8日(日本時刻)、赤城には、司令長官「南雲忠一」中 将が座乗し、真珠湾攻撃の指揮を執った。奇襲が成功し、初戦に大勝して いるにも拘わらず、南雲は、反復攻撃を行わず、米空母の捕捉もせず、ま るで負け犬が逃げ帰るが如く、日本に帰投した! 「浅沈度魚雷」を開発した技術陣の苦労、超低空・雷撃訓練に奮闘した 搭乗員の気力、そして、6隻もの空母から成る大艦隊を投入した日本海軍 の決意、その何れも、南雲は、全く理解していない! 臆病風に吹かれる小心者を、年功序列により、司令長官に任命した悲劇 が、早くも、ここハワイで始まっていた。 ワシントンでは、野村、来栖の両大使が、米国に「対米覚書」(宣戦布 告文)を手渡したが、これが何と、真珠湾攻撃の1時間後と言う大失態を 犯し、余りにも、日本民族を貶(おとし)めた!米国民の怒りは頂点に達し B29による「無差別爆撃」や、2発もの「原爆投下」に繋がった。 昔も今も、外務省は、困ったもんだ。「慰安婦問題」や、有りもしない 「南京大虐殺」の作り話に、しっかり対処せんかいッ! |