1994(平成6)年4月から、1997(平成9)年4月中旬迄の3年間だ。 子会社の「電気通信会社」に出向し、筆舌に尽くしがたい「侮蔑」を受 けた。 会社は、多くの親会社からの出向者とプロパー社員で成り、プロパー 社員は、教育で知識を付けていたが、出向者は、いきなりこの会社に放 り込まれた! 機械専門の筆者には、電気通信用語が分からず、たちまち月200時間 のサービス残業に陥った。平日は深夜1時迄、土日は、流石に朝からは 出勤しなかったが、昼から出勤し、夜10〜11時迄残業しても仕事が追 いつかず! 折しも、1996(平成8)年2月、一人暮らしの母親が脳梗塞で倒れ、 入院。終鈴後、往復3時間を掛け通院し、洗濯物を済ませて職場に戻れ ば、夜10時。それからの残業が続く! 更に、筆者の発注工事で電源事故を起してしまい、同種事故防止対策 工事の立会で、以後1年弱の全土日を奪われる。 何事が起ころうとも、月200時間のサービス残業は変わらず、人生で 最大の危機に直面するも、筆者一人ではなかったのが救いだったか? 上からは怒やされ、プロパーには舐められ、無視され、馬鹿にされ、 職場でのストレス、この上無し! |
1995(H7).12〜 |
ニュージーランド8日間 |
New Zealand 8 days |