多分、昭和55年12月だ。嫁から、「旅は、個人でするもんやで!」と 唆(そそのか)されて、「ロス・アンゼルス」までの往復航空券のみを予 約して、無謀にも、9日間の「アメリカ個人旅行」を決行した! それは、トラブルの連続だった。 当時の格安航空券は「某国DK航空」の物で、未だ、喫煙席と禁煙席 の区別があった。某国空港のグランド・パーサーの対応に呆(あき)れ果 てた。 禁煙席を購入したのに、券に禁煙マークが無いので聞くと、「分かっ ている、それで良い、その座席番号は禁煙席だ」と言う。 信じて飛行機に乗ると、違うではないか!立派な制服を着た年配の職 員が、平然と嘘をつくとは、日本人に対する嫌がらせか、それとも、こ の民族の習性か? 暫くすると、黒人二人が我々の前の席に移動して来た。どうやら煙草 を吸いたいのに禁煙席に座らされた様で、我々の目の前で巨大な葉巻を 取り出した! 物凄い匂いともうもうたる紫煙に堪らず、機内乗務員に席替えを申し 出たが、何故か、禁煙席は東洋人の手荷物で埋め尽くされていた。そこ へ割り込んで座ったものの、肩身が狭く辛いフライトとなった。 ロス空港で、レンタカーを借りるのにも手こずった。 空港にズラリと並ぶレンタカー会社のカウンターの中で、一番の金髪 美女に、片言英語で話しかけたら、返事は極めて早口で何を言っている のか、全く分からない! 諦めて、二番目の金髪美女のカウンターに行ったが、同じだった。 「思いやりが無い!」金髪美女は、いつも社会でチヤホヤされ過ぎて いて、相手に対する思いやりが無いのだと思う。 黒人男性のカウンターで、やっと車を借りた。こちらが英語をろくに 喋れないと察してくれて、ジェスチャーで教えてくれた。 ようやく空港を脱出して、ロス隣接の「サンタ・モニカ」のインに、 車で入った。7、8階建てで、日本なら少し大きなビジネス・ホテルと 言った処だ。 夕食の為、部屋を出る時、ドア内側の取っ手中央のボタンを押してド アを閉めた。これが大間違いだった!この内側取っ手ボタンは、外から は、鍵でもドアが開かない様にする為の、チェーン代わりの物だった。 折しもクリスマスで、鍵職人を呼べども来ず、以後の2日間は、荷物 をこの部屋に閉じ込めたままのドライブ旅行となった。 「地図無し、着替え無し、スリッパ無し」は、不便極まり無かったが 西海岸を北上し、「サンタ・バーバラ」に至った。 この海岸線の景色は、最悪だった。いくら走れども雑草の砂山と、油 で薄汚れた海水が接するだけの単調さには、辟易(へきえき)した。 日本では当たり前の、松島が点在する風光明媚な海岸線ではないので ある。戦後、日本を占領したアメリカ進駐軍が「日本全体を、全て国立 公園に指定しようか」と言っていた訳が、この地の景色に接してやっと 分かった! ひょっとすると「我々日本民族は、世界の絶景の中で日々暮らしてい るのかも」知れない。 無謀な冒険は更に続き、「ラスベガス」や「パーム・スプリングス」 を訪れたが、旅行の後半は、只々、車を運転するばかりのマンネリに陥 った。 この旅行で、旅行会社のパッケージ・ツアーを大いに見直した! |