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令和7年9月27日(土)。下関市の料亭「春帆楼」(しゅんぱんろう)と 隣接する「日清講和記念館」だ。 1894(明治27)年夏からの、朝鮮半島の権益をめぐる「日清戦争」が 日本側の圧倒的優勢で終わり、料亭「春帆楼」で催されたこの「日清講 和会議」や「下関条約」で、日本は、「朝鮮」を中国「清」から独立さ せ、「遼東半島」や「台湾」「澎湖諸島」の割譲や、2億両もの多額の 賠償金を得る。 但し、「遼東半島」は、直後のロシア、ドイツ、フランスの「三国 干渉」により「清国」に返還された。 写真1、2は、リーフレット。 写真3〜6は、料亭「春帆楼」や「日清講和記念館」外観。 写真7〜10は、「日清講和記念館」内部で、写真9の出席者の画像 は、「伊藤博文」や「陸奥宗光」、中国・清の「李鴻章」らだ。 |