平成28年4月7日(木)。「明石城」だ。別名「喜春城」。徳川二代将 軍・秀忠が、西国諸藩に対する備えとして、明石藩主・小笠原 忠真(た だざね)に築城を命じ、石垣や櫓は造られたが、天守は造られなかった。 現地で、二人の老人ガイドが付いたが、後に付いたガイドには、閉口 した。写真でも撮ろうかと列を離れたツアー仲間に、「勝手な行動をす るな!」と強い口調で言ったり、説明をしている前のガイドに相談もせ ず、「もう時間が無いので、引き返す!」と勝手に言い出したりで、呆 れてしまった。接遇など何処吹く風の、現業公務員か? 写真1は、案内図。写真2〜4は、「巽櫓」(たつみやぐら)。JR明 石駅から見える東側の櫓だ。写真5〜8は、「坤櫓」(ひつじさるやぐ ら)。同じく、明石駅から見える西側の櫓だ。 写真9、10は、案内板。写真11〜13は、「桜堀」へ向かう。 |