1970(昭和45)年11月23日、筆者3回生時。大阪府立体育館に、全国 300余の大学空手道部から、地区予選を勝ち抜いた89校が集結・参戦し た「全日本・大学空手道選手権大会」で「ベスト8の戦況・概要」だ。 (創部70周年記念誌に掲載された、昭和46年卒「小谷 晴康」先輩の寄 稿文により詳細が判明し、記述を訂正しました。) 下表が、筆者らの戦績だ! |
回戦数 | 対戦相手 | 勝敗 | 戦 況 |
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第1回戦 | 無し | 不戦勝 | 何故か我が校がシード校になっており、不戦勝。 |
第2回戦 | 神戸大学 | 勝利 |
先鋒の筆者が、神戸大学3回生 川辺選手に、左 眼を激打され、勝てず、引き分けとなる。 負け数が1多いまま、大将戦となり、4回生 小谷 晴康先輩が、見事な1勝を収め、勝ち数同数で、引 き分けとなる。 「代表者決定戦」は、4回生同士の息詰まる対戦 となり、小谷先輩が連戦するも、引き分け。 「再度の代表者決定戦」に、3回生の筆者が指名 され、左眼の視力が回復しないまま、捨身の先制攻 撃により、快勝! |
第3回戦 | 東海大学 | 勝利 |
先鋒に回った小谷先輩が圧勝すると、勢いが付き 2回生 前田 隆司、3回生 柴田 裕三ら皆が快勝す る。 筆者は大将に回り、得意の蹴りの連発で、相手の 大将を圧倒!しかし、相手の苦し紛れの中段突きを 審判が「技有り」とし、筆者のみ一敗。 |
第4回戦 | 大阪経済 大学 |
勝利 |
たった2週間前の全関西戦で、先鋒の筆者が、足 を滑らせて転倒し、負けたせいか、皆が完敗してし まった大阪経済大学との再戦だ。 同校は、全関西準優勝校となっていた! 先鋒:4回生 小谷 先輩、引き分け 次鋒:2回生 山元 正志、善戦するも、惜敗 中堅:3回生 筆者、引き分け!(前の東海大 戦で、足の神経が切れたのか、得意の 蹴りが、スローモーションに!) 副将:2回生 前田 隆司、快勝! 大将:3回生 柴田 裕三、反則勝ち! (相手大将の目にも止まらぬ上段突きの 連発に、柴田は動じなかったが、審判が 反則を宣す!) 天才的な前田 隆司の快勝の後、辛くも、柴田裕三 の反則勝ちにより、何と、全日本戦ベスト8に進出 した! |
第5回戦 | 拓殖大学 |
敗戦 |
全日本ベスト4決定戦だ。 先鋒:3回生 筆者、引き分け!(初めて、星野 師範から指示が出て、カウンターの中段 逆突きに徹したが、勝機を失した!) 次鋒:3回生 松川 高清、反則勝ち 中堅:3回生 柴田 裕三、勝てず 副将:2回生 前田 隆司、 〃 大将:4回生 小谷 先輩、 〃 又もや、先鋒の筆者が勝てず、ベスト4決定戦で 敗退。今でも、先鋒として勝てなかったこの一戦に 大いに悔いが残る! |