1969(昭和44)年6月15日、京都工繊体育館での「第11回・西日本国公
立大学・空手道選手権大会」だ。私学を除き国公立の、しかも西日本戦な
れど、3回生、4回生の強豪が善戦し、栄えある「3位」に入賞した。
 (創部70周年記念誌に掲載された、昭和46年卒「小谷 晴康」先輩の寄
稿文により詳細が判明し、記述を訂正しました。)
 筆者は2回生時の「デビュー戦」で、「3連敗」した。
回戦数対戦相手我校
勝敗
戦 況
第1回戦姫路工大勝利  筆者、緊張のデビュー戦だ。
 勢い余って、相手を場外まで追い出し、寸止めせず
に、上段逆突きを当ててしまった!
 審判からは強く叱責され、謝る機会を失して、派手
な「反則負け」のデビュー戦になった!
 相手には悪かったが、いくら場外とは言え、気を抜
き無防備になるのは、格闘家として如何(いかが)なも
のか。
第2回戦大阪教育大勝利  この第二戦でも、相手に接近し過ぎて、上段突きを
入れてしまった!
 今度は、すかさず土下座までして謝ったが、連続の
「反則負け」は、試合会場内で少々目立った。
第3回戦岡山大学勝利  2回生の筆者は、次峰(2番手)を担っていた。相
手は、岡山大学で、何と医学部の精悍なる4回生!
 筆者は、上段突きから、左中段順蹴りで、思い切っ
て飛び込んだ。相手は、さっと身を屈(かが)め、見事
に蹴りをかわし、立ち上がりざま、筆者の左足をすく
い上げた!
 筆者は、もんどりうって転倒!上から突きを決めら
れ、「一本負け」。正に完敗し、これで「3連敗」と
なった。
第4回戦島根大惜敗  試合の合間に3回生 小谷 晴康先輩が、「顎(あご)
が外れました。選手を替えて下さい。」と訴えてい
た。4回生 松本 裕行先輩は、「アホかッ。これを見
よ!」と言って道着のズボンをまくリ上げた。
 小さなドッジ・ボール大にも腫れ上がった足を見せ
つけられ、小谷先輩は、黙った。
 その後も変わらず、両雄の奮闘が、続いた。
 4回生 服部 修先輩や、3回生 奥田 進先輩、山下
修先輩らも活躍した筈で、大いに、善戦した。
 筆者も、最後まで参戦していたが、反則負け、反則
負け、一本負けの「3連敗」の記憶しかない。
3位
決定戦
鳥取大勝利  私学は強豪なれど、当時、近畿大などの戦力低下は
著しかった。(練習の厳しさ故の、部員不足か?)
 一方、我校では、部員数は、40名を越え、そこから
選出される5名の選手戦力は、高かったと思う。
 同じく、岡山大学や、神戸大学等の戦力も高く、私
学にも拮抗していた。それらを破っての「3位」であ
り、捨てたものではない!

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