平成25年5月11日(土)。写真1は、空母「大鳳」と「飛龍」の模型。 「大鳳」は、1944(昭和19)年6月、何と、初陣の「マリアナ沖海戦」 で、米・潜水艦の雷撃を受け、沈没。 写真2、3は、「飛龍」。名将「山口 多聞」(やまぐち たもん)少将が 座上し、1942(昭和17)年6月の「ミッドウェー海戦」で、日本の3空 母が、被弾、炎上する中、単艦で奮戦し、米空母「ヨークタウン」に一 矢を報いて、沈没。「山口 多聞」少将、「加来 止男」大佐(艦長)は、 「飛龍」と命を共にする。 だが、この時、日本艦隊の司令長官「南雲 忠一」中将や、艦隊・参謀 長「草鹿 龍之介」少将らが、4空母の全滅にも拘わらず、生還したのに は、全くもって驚かされる。 |